キハ58 121



1962年6月8日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度利用債で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット120〜123全車が鹿児島へ配置されている。鹿児島へは新設される急行「フェニックス」用として配置された。その後も鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、1970年以降も非冷房のまま残り、1972年3月改正で非冷房車の多く残っていた直方へ転属した。直方では800番台車と共に急行「日田」「はんだ」「あさぎり」等で活躍したが、1972年度で長崎へ転属し、急行「いなさ・弓張」等の長崎本線系統の急行で使用されるようになった。1970年代中盤に冷房化されたものと思われる。1976年7月1日の長崎本線電化によるダイヤ改正で急行「出島」は4往復削減となり、当車は急行で使用されていたキハ55系の置き換えとして、1976年7月8日付で名古屋第一機関区へ転出する。名古屋では急行「きそ」「紀州」「のりくら」等で使用されたが、「53-10改正」で中央西線に残っていた気動車急行が電車化され、当車は急行「能登路」の冷房化のため1978年9月28日付で七尾機関区へ転出した。七尾では急行「能登路」や七尾線・能登線の普通列車で活躍したが、1985年以降急行の削減により各地より状態の良いキハ58が転入すると余剰となり、1987年1月14日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。タイフォンカバーはスリット状であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。放送用ジャンパ線受は、タイフォン横にステップ一体型で設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


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