キハ58 122




1962年6月8日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度利用債で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット120〜123全車が鹿児島へ配置されている。鹿児島へは新設される急行「フェニックス」用として配置された。その後も鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、1970年度に車両交換で都城へ転属、急行「えびの」を中心に活躍するようになった。1970年夏には都城にキハ65が配置され、これと前後して冷房化された。「55-10改正」で日豊本線全線電化と共に急行列車の整理が行われ当車は余剰となり、山形地区の冷房化促進のため1980年10月4日付で山形機関区へ転属した。山形では急行「もがみ」「月山」等で使用され、東北新幹線開業後も引き続き支線急行で使用された。国鉄末期のダイヤ改正で特急格上げ、減便、減車によりキハ58は余剰となるが、当車は「61-11改正」復活した急行「よねしろ」用冷房車として抜擢され、1986年10月29日付で秋田へ転出し、そのままJR東日本に継承された。JR化後は引き続き急行「よねしろ」を中心に使用されたが、
1990年代に入り急行「よねしろ」は機関換装・アコモ改造・更新車を充当することとなり、当車は余剰対象となり1992年9月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強未施工である。正面窓上の通風口、水切りは原型のままである。デフロスタは、運転席側のみに付いている。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すり位置も原型のままである。テールライトは原型の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、東北地区へ転入した車に見られた、回転蓋式となっている。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左下付近に移設されている。制御用ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの左右に寄っており、九州の標準形態ではない。
側面はほぼ原型であるが、便所付近には、汚物処理装置取り付け準備工事がなされ、同装置の点検蓋が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、ほぼ原型のままである。スノープロウは単線用を取り付けている。


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