キハ58 126



1962年4月16日日本車輌製の3次車で、昭和36年度第2次債務で郡山機関区へ配置された。同一ロット124〜127全車が郡山へ配置されている。郡山では1962年6月10日より新設された急行「ばんだい」に使用された。1964年には郡山へ長大編成対応の400番台が増備された関係で捻出され、同一ロット124〜127全車が転出することになり、当車は盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」等の東北本線の幹線急行で活躍し、東北本線の全線電化後も引き続き盛岡配置で仙台以北の東北本線急行で活躍した。1972年3月ダイヤ改正では東北地区でも特急の増発による急行の一部見直しがあり、当車は1972年3月27日付で鳥取へ移動した。なお当車の冷房化時期は盛岡時代なのか鳥取時代なのかは定かではないが、冷房電源用ジャンパ受栓位置が低い初期冷房車タイプのままなので、おそらく盛岡時代に冷房化されたものと思われる。鳥取転出後は、急行「伯耆」「但馬」「さんべ」「砂丘」等、山陰本線全域で急行列車に使用された。1982年には鳥取と隣の豊岡の間で運用移管があり、当車は1982年3月26日付で福知山へ転出した。福知山では急行「但馬」「丹後」「丹波」等で活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月3日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍したが、JR東海では1989年3月改正でキハ11を大量投入により老朽気動車の淘汰を早くも実施し、当車は1989年9月6日付で廃車となった。

当車は福知山時代の影響が強い形態であるが、東北地区の名残も多く残しており、JR東海に継承されたキハ58では特異な車両であった。
前面は、福知山由来の後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓は、後藤工場標準の位置にある。当車は前述の通り冷房電源用KE7ジャンパ受栓の位置が低い初期冷房車の形態を残している。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーは盛岡時代の名残の回転蓋式を残しており、JR東海ではキハ28 2398と共に珍しい存在である。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面はおおむね原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る