キハ58 128



1962年4月21日日本車輌製の3次車で、昭和36年度第2次債務で高崎機関区へ配置された。同一ロット128〜131全車が高崎へ配置されている。高崎では両毛線経由の急行「わたらせ」や長野原線に直通する急行「草津」で使用されたが、1967年の長野原線線電化で高崎の急行型気動車運用が減少し、当車は一旦千葉地区で夏季輸送に使用された後四国へ転出することになり、1967年6月に館山へ転出後、9月に高松へ転出した。高松では四国全域の急行で使用され、キハ58系では比較的早期の1969年度に冷房化された。その後も長く四国全域で使用されたが、1978年には長野から高松に大量のキハ57が転入し、これと玉突きで高松から徳島へ車両の移動が行われ、その際に1978年10月12日付で徳島へ移動した。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」等で国鉄末期まで使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入により四国内の急行列車が大幅削減されるとキハ65や車齢の若いキハ58が徳島へ転入し当車は玉突きで余剰となり、JRへ継承されず1987年2月10日付で廃車された。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面はほぼ原形である。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下はほぼ原形である。


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