キハ58 139



キハ58ではJRでラスト2の在籍車両となった車。

1962年5月4日日本車輌製の3次車で、昭和36年度二次債務で大分機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは137・138が同日に大分へ配置されている。大分では主に九州横断の急行列車に使用された。当車は生誕から現在まで九州のみに配置され、このまま一生を終えるものと思われる。九州では車両基地間での車両交換が多く、転属も多かった。1964年度には138と共に鹿児島へ転出。1970年には冷房化されたものと思われるが詳細は不明。1972年度には長崎へ転出。その後は急行「出島・弓張」を中心に活躍し、長崎本線電化後も引き続き留まり、そのままJR移行を迎える。JR化後の長崎では、新設された快速「シーサイドライナー」等で使用されたが、1992年以降「シーサイドライナー」のリクライニングシート化により急行「由布」「火の山」捻出車が長崎へ流れ込んだことにより、入れ替わるように1992年7月15日付で熊本へ転出。1996年3月16日には車両交換で古巣の大分転出。1998年3月14日には筑豊篠栗鉄道部(竹下)にキハ200系が投入された玉突きでキハ40系が鹿児島へ転出、鹿児島のワンマンキハ58系が玉突きで大分へ転出、これにより大分の原型キハ58系が余剰となるが当車は幸運にも筑豊篠栗鉄道部の波動用車の交換のため転出した。これの玉突きで1142・1143が廃車となっている。2001年3月3日には筑豊篠栗鉄道部の波動用車整理で余剰となるが、車両交換で再び長崎へ転出、これの玉突きで1105が廃車となっている。2000年以降JR九州ではトイレの汚物処理装置設置を100%とすべく急速に設置を進め、当車も2001年4月27日に小倉工場で取り付け工事施工。これが長寿化の決め手となった。2002年3月23日には筑豊本線・篠栗線電化でキハ66系が長崎へ転出し快速「シーサイドライナー」が置き換えられ余剰となるが、当車は幸運にも波動用として再び熊本へ転出した。このようにJR化後は九州北部を転々としたが幸運にも生き残り組となった。2006年度には新しい観光列車、「あそ1962」として再出発する。これは当時JR九州で最若番となっていたことから、当車に白羽の矢が立ったものと思われる。「あそ1962」としての活躍は2010年12月26日に終了し、以降は保留車として臨時列車等で使用されたが、2013年以降は全く使用されず熊本車両センターで放置状態が続いた。車体は錆つき荒れ放題となっていたが、2018年3月末には小倉工場へ回送され、最後は2019年1月23日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1970年代前半であると思われる。
前面は、国鉄時代の小倉工場標準タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新はされ、ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら九州特有の形態のものを装備している。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また、側扉点検蓋はキハ40系のようなユニット式へ交換されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。油タンクは角型のものへ交換済み。また循環式汚物処理タンクを装備している。

ほぼ原形の車体にDMH17Hエンジンという非常に貴重な車ではあるがとうとう2018年3月末に小倉工場へ回送されており、このまま一生を終えるものと思われる。


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