キハ58 141




1962年5月9日日本車輌製の3次車で、昭和36年度2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット140〜143全車が大分へ配置されている。当車は生誕から現在まで九州のみに配置された。大分では主に九州横断の急行列車に使用されたが、1968年には急行「えびの」増強のため熊本へ転出した。1970年には受け持ちの変更があり当車は竹下へ移動する。そして1970〜1971年頃に冷房化された。竹下では主に長崎本線系統の急行で使用され、「50-3改正」では九州内急行の見直しが行われ、長崎本線系統で使用する車両の長崎への移管が行われ、1975年3月10日付で転出した。その後は急行「西九州」「出島・弓張」を中心に活躍したが、長崎本線電化後、急行型電車が新製されなかったことから引き続き長崎に留まり、前記急行に引き続き使用された。しかし1982年には東北地区からの485系流入により特急に格上げされ、「57-11」改正で急行出島は廃止された。その後は旧型客車を使用した普通列車の置き換えとして引き続き長崎で使用され、「59-2」改正で長崎本線普通列車の電車化が推進されるも、引き続き大村線や松浦線の普通列車用として残留した。そしてそのままJR九州へ移管された。JR化後は、1988年に需給の関係で竹下へ移動し、主に香椎線や篠栗線で使用されるようになった。そして1988年9月22日には九州色へ塗り替えられローカル使用が決定した。1989年には再び長崎へ移動し快速「シーサイドライナー」や普通列車で使用されるようになったが、1992年7月のダイヤ改正で快速「シーサイドライナー」のアコモ改造車への置き換えが行われ、当車は入れ替わりで1992年7月15日付で大分へ転出した。大分では豊肥・久大本線のローカルで使用されたが、1994年3月より「シーサイドライナー」にキハ200が投入され車両の転配があり、この際に余剰となり1994年12月19日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、タイフォンと幌枠の間付近にある。タイフォンカバーは、スリット状であるが、助手席側のみ下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。
屋根上はほぼ原形である。排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準である。
側面はおおむね原形である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項である。


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