キハ58 142



1962年5月9日日本車輌製の3次車で、昭和36年度2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット140〜143全車が大分へ配置されている。同時期にはキハ58 137〜148の12両が一挙に大分へ新製配置されている。大分では急行「ひかり」「ひまわり」等主に九州横断の急行列車に使用されたが、1970年にはキハ65の増備により竹下へ移動する。そして1970〜1971年頃に冷房化された。竹下では主に長崎本線系統の急行「いなさ(出島)・弓張」を中心に活躍し1970年代中盤に冷房化されたものと思われるが、1976年7月1日の長崎本線電化によるダイヤ改正で急行「出島」は4往復削減となり、当車は急行で使用されていたキハ55系の置き換えとして、1976年7月5日付で名古屋第一機関区へ転出する。名古屋では急行「きそ」「紀州」「のりくら」等で使用されたが、「53-10改正」で中央西線に残っていた気動車急行が電車化され、当車は急行「能登路」の冷房化のため1978年9月28日付で七尾機関区へ転出した。七尾では急行「能登路」や七尾線・能登線の普通列車で活躍した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月26日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

前面は、七尾時代に前面補強が施工されているが、補強板の境界は滑らかに仕上げられており分かりにくい。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。タイフォンカバーはスリット状であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されている。放送用ジャンパ線受は、タイフォン横にステップ一体型で設置されていたが、末期には関西地区同様にテールライトとタイフォンの間へ移設されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る