キハ58 144



九州最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両で、廃車直前に平成筑豊鉄道へ貸し出され、急行色へ復元された車両。

1962年5月14日日本車輌製の3次車で、昭和36年度2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット144〜147全車が大分へ配置されている。当車は生誕から現在まで九州のみに配置された。大分では主に九州横断の急行列車に使用された。1970年には冷房化されたものと思われるが詳細は不明。1971年度には運用持ち替えで長崎へ転出。その後は急行「西九州」「出島・弓張」を中心に活躍したが、長崎本線電化後、急行型電車が新製されなかったことから引き続き長崎に留まり、急行に使用された。しかし1982年には東北地区からの485系流入により特急に格上げされ、「57-11」改正で急行出島は廃止された。その後は旧型客車を使用した普通列車の置き換えとして引き続き長崎で使用されたが、「59-2」改正で長崎本線に583系改造の715系が投入されることとなり、当車はとうとう長崎での用途を失った。そして1984年2月2日付で竹下へ移動し、老朽化したキハ20系やキハ55系の置き換えとして使用されるようになった。国鉄末期には日南線で使用されていた老朽キハ20系を置き換えるための車に抜擢され、1986年11月に志布志機関区へ転出。志布志機関区は、JR移行直前に廃止になり鹿児島運転所へ統合されそのままJR移行を迎える。JR化後の鹿児島では、1989年度には九州色へ塗装変更され、引き続き日南線で主に使用された。1992年には近郊化とともにワンマン化され、日南線・肥薩・吉都線・指宿枕崎線などのワンマン線区で使用され、そのまま最後を迎えた。2005年の用途廃止後は廃車前提の保留車として在籍していたが、平成筑豊鉄道で行われるロケのモデルとして抜擢され、比較的忠実に急行色へ復元された。不幸にもロケは中止となってしまったが、イベントで本線走行し、最後の活躍をした。その後はもともと保留車で状態も悪かったことから、復活・保存となることはなく、JR九州へ返却後廃車・解体となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1970年代前半であると思われる。
前面は、前面補強が施工されている形跡がない。ワイパーはオリジナルのWP35を残している。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状を装備している。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備していたが、保留車となり平成筑豊鉄道へ貸し出された際にはすでに撤去されていた。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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