キハ58 147



1962年5月14日日本車輌製の3次車で、昭和36年度2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット144〜147全車が大分へ配置されている。当車は生誕から現在まで九州のみに配置された。大分では主に九州横断の急行列車に使用された。早くも1965年度には運用持ち替えで、前後ロットの仲間と共に、145〜148そろって竹下へ転出した。竹下では主に長崎本線系統の急行で使用され、キハ58では比較的早期の1969年度に冷房化された。「50-3改正」では九州内急行の見直しが行われ、長崎本線系統で使用する車両の長崎への移管が行われ、1975年3月10日付で転出した。その後は急行「西九州」「出島・弓張」を中心に活躍したが、長崎本線電化後、急行型電車が新製されなかったことから引き続き長崎に留まり、急行に使用された。しかし1982年には東北地区からの485系流入により特急に格上げされ、「57-11」改正で急行出島は廃止された。その後は旧型客車を使用した普通列車の置き換えとして引き続き長崎で使用され、「59-2」改正で長崎本線普通列車の電車化が推進されるも、引き続き大村線や松浦線の普通列車用として残留した。そしてそのままJR九州へ移管された。1988年3月の松浦線転換により余剰となり、北九州地区で使用すべく、1988年3月
竹下へ移動した。そして普通列車専属であることから1989年3月3日付で近郊化改造及び九州色への変更が行われた。その後は組織改正で直方へ統合され、更に直方は筑豊篠栗鉄道部と変わったが、引き続き北九州地区で普通列車で使用された。1997年3月の熊本地区及び10月の香椎線へのキハ200系投入より大幅な車両の転配が行われ、当車は近郊形改造施工済みであることから活用され、1997年11月29日付で古巣の長崎へ転属、快速「シーサイドライナー」等で使用された。快速「シーサイドライナー」は長らくアコモ改造車で統一されていたがこの頃になると九州色の近郊化改造車が混ざるようになり、編成美及び車内設備がバラバラとなっていた。そして2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。制御用KE53ジャンパ受栓の位置が初期冷房車の位置にあるのが、九州では珍しい。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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