キハ58 149



1962年6月16日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度2次債務で竹下気動車区へ配置された。同一ロット148〜151のうち、当車のみ竹下へ配置されている。竹下では博多発着の急行列車に使用されたが程なく1962年度中に鹿児島へ転属、急行「フェニックス」用を中心に鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用された。1966年度から都城のキハ55系で運用されていた肥薩線急行「えびの」にキハ58系を投入することになり、同年度中に都城へ転属した。そしてキハ28の冷房化やキハ65投入に合わせ1970年に冷房化された。その後長らく都城で「えびの」に使用されたが、国鉄末期の「60-3改正」で編成が短縮され、当車は鹿児島地区のローカル輸送体質改善のため1985年3月15日付で鹿児島へ里帰りした。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は1988年3月9日付で近郊化改造及び九州色への変更が行われ、ローカル専属となったが、ワンマン化は施工されなかった。そのため主に指宿枕崎線鹿児島口等で主に使用されたが、1996年には九州各地で近郊車・ワンマン車を巡る車両交換があり、非ワンマンである当車は1996年3月16日に直方へ転出し、転出後程なく組織改正で筑豊篠栗鉄道部所属となった。1999年10月の豊肥本線電化による車両の転配で当車は再び鹿児島へ戻ることとなり、キハ58系最末期ながら1999年3月12日付でワンマン化改造及び汚物処理装置取付がなされた後に鹿児島へ転属した。しかし2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状であるが、助手席側のみ下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。貫通扉には快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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