キハ58 151



1962年6月16日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度2次債務で新潟機関区へ配置された。同一ロット148〜151のうち、150・151が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、翌1963年末より、長大編成用400番台が新潟に大量投入され、0番台車の多くは早くも新潟を離れることとなる。当車は兄弟の150とともに九州へ移動、1964年3月27日付で直方へ移動した。直方では急行「日田」の運用で主に使用された。直方のキハ58系は800番台共々、九州では最後まで非冷房車が配置されていたが、1975年の山陽新幹線開業に合わせキハ66・67系が投入され急行「日田」運用が置き換えられ、当車は非冷房のまま1975年3月6日付で水戸へ転出、キハ55系を置き換えた。水戸では、常磐無線を装備しないことから主に水郡線・磐越東線系統の急行に使用された。水戸ではキハ58系冷房化晩年の1977年度に冷房化された。東北新幹線開業の「57-11改正」で磐越東線急行が廃止された後も残った急行「奥久慈」で使用され、「奥久慈」廃止後は水郡線の普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き水郡線で使用されたが、1992年3月よりキハ110系が水郡線に投入されることになり、当車は冷房車であることから活用されることになり、1992年3月11日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」の冷房化に貢献した。また転属に先立ち、1990年12月にエンジンがコマツ製DMF11HZへ換装された。以後快速運用を中心に活躍したが、1995年3月より左沢線にキハ101が投入された玉突きでキハ40が小牛田へ転入し、当車は当時小牛田で最若番であったことから余剰となり、1995年6月20日付で廃車となった。なお当車は廃車まで水郡線色のままであった。

前面は、大宮工場で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、その際に手すりが名古屋地区のように極小のものに変更されている。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設けられている。テールライトは左右両側とも外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは、原型のスリット式のままであるが、当車はタイフォン上部のシャッター作用箱が撤去されており、珍しい。正面窓上の水切りは原型のままであるが、通風口は助手席側が撤去されている。運転席側にデフロスタがあるが、取付台座が水戸地区特有のものとなっている。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外はほぼ原型である。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。冷房化後の水戸転入であり、常磐無線対応ではないが、小型の常磐無線アンテナが取り付けられた変形車であった。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。また水戸時代に磐越東線・西線運用に就くため、複線スノープロウが取り付けられている。


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