キハ58 152



九州最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1962年6月21日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度2次債務で新潟機関区へ配置された。同一ロット152・153両車とも新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、翌1963年末より、長大編成用400番台が新潟に大量投入され、0番台車の多くは早くも新潟を離れることとなる。当車は兄弟の153を含め、他の150〜154とともに九州へ移動、1963年度末に鹿児島機関区へ転出した。鹿児島では急行「フェニックス」等、鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用され、1970年度には冷房化改造実施。その後も南九州に留まり続け、「59-2改正」から「60-3改正」の間、都城機関区へ移動するが再び鹿児島へ戻る。国鉄末期の「61-11改正」で日南線の体質改善のため、志布志機関区へ1986年11月度に転出した。志布志機関区は、JR移行直前に廃止になり鹿児島運転所へ統合されそのままJR移行を迎える。JR化後の鹿児島では、1988年4月16日には九州色へ塗装変更され、引き続き日南線で主に使用された。1993年9月27日付で近郊化とともにワンマン化され、日南線・肥薩・吉都線・指宿枕崎線などのワンマン線区で使用され、そのまま最後を迎えた。途中1996年11月7日には延命工事、1999年9月21日には当面使用する車両として、汚物処理装置の取付が行われた。その後2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを機に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり、2007年1月26日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。貫通扉には快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。
側面はおおむね原形であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。更新車であり、側面乗降ドア点検蓋が、後期車と同じ横長のものに変更されている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原形である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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