キハ58 153



1962年6月21日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度2次債務で新潟機関区へ配置された。同一ロット152・153両車とも新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、翌1963年末より、長大編成用400番台が新潟に大量投入され、0番台車の多くは早くも新潟を離れることとなる。当車は前ロットの150〜153とともに九州へ移動、1964年3月29日付けで大分機関区へ転出した。大分では主に日豊本線・豊肥本線・久大本線の急行で活躍した。1965年にはダイヤ改正及び増備車投入により竹下へ移動した。竹下では長崎本線の急行を中心に、九州各地で運用された。そして1970年5月に冷房化が行われた。その後も長く竹下で活躍し、晩年は長崎本線系統の「いなさ→出島」「弓張」で活躍した。その後「55-10改正」で九州内急行の大幅整理・減車が行われた際に余剰となり、新潟地区の冷房化促進のため1980年10月5日付で新潟へ転属した。新潟では、主に急行「赤倉」「いいで→あがの」「あさひ→べにばな」「羽越」「うおの」等で使用された。上越新幹線開業後も前記支線急行で急行の冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、当車はこの際に余剰となり、1986年3月31日付で廃車となった。

前面は、竹下時代に前面補強されている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備する。放送用ジャンパ受栓は装備しておらず、ジャンパケーブルは標識灯掛けに引っ掛けられていた。制御用ジャンパ受栓の位置は、九州地区の形態のままで、タイフォン下部で左右に離れた位置である。
側面は概ね原形であるが、九州時代に運転室窓バランサー点検蓋が新設され、鉄板がビス止めされている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下はほぼ原形であるが、単線用スノープロウを装備している。


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