キハ58 154



1962年6月29日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度2次債務で新潟機関区へ配置された。同一ロット154〜157のうち、155以外の3両が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、翌1963年末より、長大編成用400番台が新潟に大量投入され、0番台車の多くは早くも新潟を離れることとなる。当車は前ロットの150〜153とともに九州へ移動、1964年3月29日付けで大分機関区へ転出した。1970年度には冷房化改造実施。1971年度に大分から竹下へ転属し、急行「出島」「弓張」等の長崎本線系統の急行で使用されることになる。1975年には運用持ち替えで1975年3月9日付で長崎機関区へ転属する。長崎本線の電化やその後の特急格上げで所用数が減少するも当車は長崎に残り、大村線・松浦線系統で使用され、そのままJRへ継承された。JR化後は松浦線の廃止で所用数減となるも、大村線経由で快速「シーサイドライナー」が設定され、当車は引き続き都市間快速で使用される。1989年1月19日には九州色へ塗り替えられローカル使用が決定した。1992年の豊肥・久大本線急行の特急格上げにより、アコモ改造車が大量に長崎に転入し、シーサイドライナーのアコモ改善が図られることになるが、当車は引き続き快速で使用するため、1992年12月26日付けでリクライニングシート化され、塗装も濃紺の「シーサイドライナー」塗装へ変更された。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。2000年以降はJR九州では汚物処理装置取付100%化するため、2001年3月16日同装置が取り付けられた。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入し始め、当車は引き続き使用される車両として、2001年10月6日付で大分へ転出した。大分ではシーサイドライナー塗装のまま久大本線で細々と使用されたが、老朽化のため、塗装もそのまま2005年1月21日付で廃車となった。

前面は、前面補強未施工ですっきりとした形状である。ワイパーは強化型のWP50へ改造されてるが、運転席窓下の手すり位置は変わっていない。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また、乗降用扉の点検蓋が、キハ40系と同様のユニット式に改造されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。


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