キハ58 160



1962年4月2日富士重工製の3次車で、昭和36年度第2次債務で青森機関区へ配置された。同一ロット158〜160全車が青森へ配置されている。青森では東北本線の幹線急行で使用開始し、急行「みちのく」や「三陸」等の名門急行で活躍した。しかし青森の担当列車は長大編成が多く、これに対応した400番台が増備されると1964年度中に秋田へ転出し、さらに運用移管や需給の関係で1965年度には小牛田へ転出した。小牛田では仙台以北の幹線急行で使用され、急行「千秋」や「きたかみ」等で活躍した。しかし1966年度には再び秋田へ戻り、急行「しらゆき」「おが」等で活躍した。「47-10改正」では需給の関係で転属し1972年10月2日付で盛岡へ転属したが、1974年3月25日付で秋田へ戻っている。その後も引き続き秋田で非冷房のまま急行「しらゆき」「おが」で国鉄末期まで活躍したが、東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」が廃止されると余剰となり、1982年11月15日付で美濃太田へ転属した。美濃太田ではキハ55に代わり高山本線の普通列車で使用されたが、非冷房車であることから美濃太田では嫌われ、1983年10月に米子からキハ58 472が転入するとこれと入れ替わるように10月24日付で盛岡へ転属した。盛岡では山田線・釜石線・花輪線の普通列車や急行「陸中」「はやちね」で活躍した。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行「はやちね」が廃止され所要数が減少すると余剰となり、1987年2月5日付で廃車となった。

前面は、秋田時代に土崎工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。放送用ジャンパ線受はタイフォン横でステップ一体型で設置されている。タイフォンはシャッター式に改造されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。
側面は、概ね原形であるが、汚物処理装置が取り付けられているので点検蓋が設けられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下は後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。また複線用スノープロウを付けている。


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