キハ58 162



1962年4月11日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット161〜163のうち、161・162が鹿児島へ配置されている。鹿児島へは新設される急行「フェニックス」用として配置された。その後も鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、1972年度中に九州内での車両交換により長崎へ転出し、急行「出島・弓張」等の長崎本線系統の急行で使用されるようになる。その後は廃車まで長崎を離れなかった。長崎転出後に冷房化され、長崎本線電化後も引き続き普通列車等で使用され、そのままJR九州に継承された。JR化後はローカル輸送車は九州色へ塗装変更されることになり、当車も1989年2月14日に塗り替えられた。1992年の豊肥・久大本線急行の特急格上げにより、アコモ改造車が大量に長崎に転入し、シーサイドライナーのアコモ改善が図られることになるが、当車は引き続き快速で使用するため、1992年11月6日付けでリクライニングシート化され、塗装も濃紺の「シーサイドライナー」塗装へ変更された。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。2000年以降はJR九州では汚物処理装置取付100%化するため、2001年2月26日同装置が取り付けられた。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入し始め余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また、乗降用扉の点検蓋が、キハ40系と同様のユニット式に改造されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。


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