キハ58 163



1962年4月11日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で名古屋機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット161〜163のうち、163のみが名古屋へ配置されている。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。1972年には需給調整で美濃太田へ移動し、更に1973年には循環急行「しろがね」「こがね」廃止に伴う所要減で、12月28日付で高松へ移動した。移動前後で冷房化されたものと思われる。高松では徳島地区を除く四国全域の急行列車で使用されたが、1978年には長野からキハ57が転入したことから玉突き転配が行われ、徳島地区の急行で使用されるようになり、10月11日付で転属した。この改正では更に徳島にいた若番車が主に七尾へ転出し非冷房車やキハ55系を置き換える玉突き転属が行われた。徳島移動後は急行「阿波」「むろと」等の徳島地区の急行で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は内装も原型のままで引き続き急行に使用され、1988年11月25日には四国色へ変更された。1990年に徳島に1000型が投入された際に1990年3月10日付で松山へ移動するも、松山には近郊化改造車を集める方針から再び1992年3月14日付で徳島へ戻った。その後は急行「よしの川」を中心に使用されたが、1996年に急行「剣山」が登場し「よしの川」が1往復になった際に余剰となり、1997年12月19日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、後期車同様のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面はほぼ原形である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。なお台車は1990年代後半よりグレーに塗装されている。


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