キハ58 164



1962年4月28日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で名古屋機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット164〜166のうち、164のみが名古屋へ配置されている。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。1965年には新製された400番台車と入れ替わり転出することとなり、7月1日付で夏季輸送用に千葉へ転出し、夏季輸送終了後9月27日付で高松へ転出した。高松では四国全域の急行で使用され、1969年度には早くも冷房化された。その後も長く四国全域で使用されたが、1978年には長野から高松に大量のキハ57が転入し、これと玉突きで高松から徳島へ車両の移動が行われ、その際に1978年10月12日付で徳島へ移動した。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」等で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1989年2月7日付で四国色へ変更され、1990年9月21日付で近郊化改造された。そして直後の1990年11月21日付で、予讃線伊予北条−伊予市電化による車両転配により高知へ転出した。高知では50系やキハ20に代わり普通列車で使用されるようになったが、1992年3月改正で高知にも1000系が投入され、当車は普通列車に使用されているボックスシート車を置き換えるべく3月14日付で徳島へ転出した。しかしその後も1000系の増備や電化の延伸が進み、1993年11月30日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面では、汚物処理タンクが設置されていた関係で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化に際し便洗面所が撤去されたので、臭気抜き窓が埋められている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。
屋根上は近郊化改造後に不要となった水タンクが撤去されている。
床下は、汚物処理装置が撤去され、便所の流し管も付いていない。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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