キハ58 165



1962年4月28日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で米子機関区へ配置された。同一ロット164〜166のうち、165・166が米子へ配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1965年には米子へ長大編成対応の400番台が新製投入され、次ロットの167と共に転出することになり、1965年12月17日付けで高松へ転出した。高松では四国全域の急行列車で使用され、1972年には冷房化された。その後も長く四国全域で使用されたが、1978年には長野から高松に大量のキハ57が転入し、これと玉突きで高松から徳島へ車両の移動が行われ、その際に1978年10月11日付で徳島へ移動した。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」等で使用された。1980年に、急行の減車により捻出されたキハ58が高松から徳島へ転入した際に若番車は徳島から他区へ転出したが、125以降の車両は引き続き徳島に残留した。徳島では国鉄末期まで使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入により四国内の急行列車が大幅削減されるとキハ65や車齢の若いキハ58が徳島へ転入し当車は玉突きで余剰となり、JRへ継承されず1987年2月10日付で廃車された。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、後期車に準じタイフォン横にステップ一体型で設置されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形である。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下はほぼ原形である。


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