キハ58 167



1962年5月18日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で米子機関区へ配置された。同一ロット167〜169のうち、167のみが米子へ配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1965年には米子へ長大編成対応の400番台が新製投入され、前ロットの165・166と共に転出することになり、1965年12月26日付けで高松へ転出した。高松では四国全域の急行列車で使用され、1972年には冷房化された。その後も国鉄末期まで長く四国全域で使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」時にキハ185系投入による急行の特急格上げで捻出され、徳島の経年の古いキハ58を置き換えるため1986年10月29日付で徳島気動車区へ移動。急行「阿波」「むろと」及び高徳本線・牟岐線の普通列車等で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年4月の瀬戸大橋開業に伴うダイヤ改正で急行の大半が特急に格上げされた事から次第にローカル輸送に転じることになり、また1988年10月19日で四国色へ変更された。1989年3月には通勤化改造車を巡る転配が行われ、原形車内の当車は1989年3月14日付で松山へ転出した。松山では予讃線・土讃線・内子線等の普通列車で活躍したが、1992年3月改正で、内装による車両の入れ替えが行われ、当車は3月14日付で再び徳島へ転出した。しかし間もなく1992年7月23日には予讃本線の一部電化により車両の転配が行われ当車は余剰となり、1992年9月1日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面はほぼ原形である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。

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