キハ58 171



1962年5月25日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で新潟機関区へ配置された。同一ロット170〜173のうち、170・171が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、翌1963年末より、長大編成用400番台が新潟に大量投入され、0番台車の多くは早くも新潟を離れることとなる。当車は次ロットの169〜171とともに山陰へ移動、1964年4月13日付けで米子機関区へ転出した。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1965年には米子へ長大編成対応車が新製投入され、兄弟の170と共に転出することになり、1966年度中に和歌山へ転属した。和歌山では急行「きのくに」をはじめとして、紀勢本線の急行で活躍した。そして1970年代中盤には冷房化されている。しかし1978年10月の紀勢西線電化により捻出され、1978年9月29日付で浜田へ転出した。浜田では急行「だいせん」「石見」等で活躍したが、1982年7月の伯備線電化に伴うダイヤ改正で米子管内で車両転配が行われると余剰となり、1982年7月15日付で七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」や七尾線・能登線の普通列車で活躍したが、1985年以降急行の削減により各地より状態の良いキハ58が転入すると余剰となり、1987年1月14日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されておらず、すっきりした顔立ちである。ワイパーも原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形である。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部で左右寄り添う位置へ設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に台座付きで設置されている。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーのままである。
側面はほぼ原形であるが、乗降扉下隅に後期車同様丸窓が設けられている。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
床下は、ほぼ原形である。


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