キハ58 172



JR東日本の急行用アコモ改造車。当車は山形→新庄配置で急行・快速「月山」運用で使用された。

1962年5月25日富士重工製の3次車で、昭和36年度2次債務で和歌山機関区へ配置された。同一ロット170〜173のうち、172・173が和歌山へ配置されている。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で運用された。1967年には急行「かすが」運用の一部を分離するため兄弟の173と共に亀山機関区へ転出するも、1971年度には再び和歌山へ運用移管され和歌山に戻っている。和歌山では1975年頃に冷房化されたものと思われるが詳細は不明。「55-10改正」では381系増備により急行「きのくに」3往復が特急「くろしお」に格上げされ、この際に余剰となる。当車は中部地区の急行冷房化に使用されるようになり、1981年2月13日付で新潟運転所へ転出した。新潟では、主に急行「赤倉」「いいで」「あさひ」「羽越」「うおの」等で使用された。東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」では急行「赤倉」「羽越」「うおの」が廃止されたが、引き続き急行「べにばな」快速「あがの」で冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、当車はこの際に余剰となるが、幸運にも山形地区の更なる冷房化のため、1985年3月14日付で山形機関区へ転出した。山形地区でも国鉄最後の「61-11改正」で急行の縮小・削減が行われ大量の余剰が出たが、当車は幸運にも残留組となり、JRに継承された。JR化後も引き続き急行「月山」に使用された。1991年3月16日付で、山形運転区が山形新幹線開業準備の関係で廃止されるのに伴い、当車は新庄運転区へ転出したが運用実態は同じであった。1991年よりアコモ改造されることとなり当車が抜擢され、1991年12月24日付でアコモ改造・機関換装・車両更新等を受け、塗装も専用色となり生まれ変わって出場した。以降急行から快速へ格下げされつつも引き続き同列車の最後まで使用された。1999年3月に山形新幹線新庄延伸工事のため一部区間運休となることになり、この際に快速「月山」は廃止された。廃止に伴い当車は用途を失い、1999年4月5日付で廃車された。

外観は、月山・よねしろ向け更新・アコモ改造仕様で、急行色のデザインながらJR東日本のコーポレートカラーを纏っていた。前述のとおり冷房化年月日は不明である。
前面は、新潟時代に前面補強されており、関西地区特有の手すり位置等を残したまま、新潟タイプの前面補強が施工された。手すりは運転席側が短く、和歌山時代の面影を残している。テールライトは外ばめ式にされており、これは新潟タイプの前面補強では標準的な施工であった。放送用ジャンパ線納めは秋田地区標準の位置に付いている。新潟時代に運転席・助手席側両方にデフロスタが設置されたが、更新時に運転席側は熱線入りガラスに交換されたため、助手席側のデフロスタのみ残るという異端車。タイフォンカバーは暖地型標準のスリットタイプを装備しているが、新潟時代は円筒を斜めに切った竹槍状のカバーであった。また、正面貫通ドアは更新時に交換されており、Hゴムの無い窓になっている。このように各地区の特徴を残したままの顔であった。
側面では、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、横長のものに交換されている。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は、新潟地区特有の若干小ぶりな当て板がボルト止めされている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。アコモ改造時に、行先方向幕が2・3位側の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されているが、その後再度設置されている。油タンクは角型のものへ交換済み。スノープロウは単線用を取り付けている。便所側は汚物処理タンクを装備しているが、取付時期が新しい(恐らく更新時)のでキハ48等にも見られる角ばったものが取り付けられている。


1983年頃

↑新潟時代の姿で、タイフォンは円筒を斜めに切った竹槍状のカバーをつけているが、それ以外は晩年とあまり形態に差異はない。


1987年頃

↑JR化直後の1987年頃の姿。新潟時代に比べ、タイフォンカバーはスリット式になり、放送用KE66ジャンパ栓納めは秋田地区標準の尾灯・標識灯掛けの近くへ移動している。またJR化後なので列車無線アンテナが装備されJRマークが貼り付けられている。



1992年頃

↑更新直後の1992年頃の姿。この時点では機関予熱器がNo.1・2機関とも撤去されている。


 
キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る