キハ58 175



1962年7月10日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度第3次債務で小郡機関区へ配置された。同一ロット174〜177全車が小郡へ配置されている。小郡では主に山陽本線・山口線系統の急行で使用され、ヨンサントオ以降は主に急行「あきよし」で使用された。当車は晩年まで非冷房のままで活躍したが、「55-10改正」で急行の減車が行われた際に非冷房の当車は真っ先に余剰となり、1980年10月13日付で人吉へ転属した。人吉では老朽化したキハ55に代わり、肥薩線矢岳越えの普通列車で主に使用された。その後「59-2改正」では九州内で更なる急行の減車減便が行われた際に状態の良い冷房車が普通列車に充当されるようになり、非冷房の当車は1984年度で松山へ転属した。松山ではここでも残存していたキハ55を置き換え、予讃本線宇和島側の普通列車で使用された。しかしながら1985年に各地から状態の良いキハ58が四国へ転入した際に当車は玉突きで余剰となり、1986年3月15日付で廃車となった。

前面は、小郡時代に前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、運転室窓下の手すりは原形のままである。非冷房車であり制御用KE53ジャンパ受栓は原形の位置のままである。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横にステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の通風口・雨どいは原形のままである。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。元広島局配置車であるが1980年に人吉へ転属しているので、広島局特有の側面窓下のサボ挿しは付いていない。
屋根上は原形のままである。
床下は、ほぼ原形である。


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