キハ58 179



1962年7月17日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度第三次債務で宮原機関区へ配置された。同一ロット178・179のうち、当車のみ米子に配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1969年には一部運用変更で鳥取へ移動し、1970年頃には冷房化された。鳥取では、「だいせん」「白兎」「砂丘」等、山陰本線の急行を中心に使用された。山陽新幹線岡山開業に伴う「47-3改正」では山陰地区の急行も整理が行われ、向日町へ転属した。向日町では急行「志摩」「くまの」「はまゆう」「しらはま」で使用されたが、「55-10改正」では需給の関係から1980年10月7日付で隣の宮原へ転出した。宮原では急行「みまさか」「丹波」「たかやま」等関西から北部へ向かう急行で使用された。「59-2改正」ではさらに急行の減便減車により捻出され、汚物処理装置を取り付けていることから、同装置を使用する他区の若番車を置き換えることになり、1984年2月7日付で高松へ転出した。高松では老朽化の進んでいたキハ57に代わり四国全域の急行で使用されたが、「61-11改正」でキハ185系投入による特急格上げにより大量の余剰が発生し、JRへ継承されず1987年2月10日付で廃車された。

外観は、向日町・宮原時代の特徴を色濃く残している。
前面は、向日町・宮原時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりが短くなっているなど、関西標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部で左右寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間付近に移設されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、関西標準の、縦長の開口部に蓋がビス止めで設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態である。
床下では、後位側に循環式汚物処理タンクを装備している。


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