キハ58 180



1962年8月2日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度第3次債務で米子機関区へ配置された。同一ロット180〜183全車が米子に配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1972年には伯備線にキハ181系特急「やくも」が新設され、急行「伯耆」が格上げされた事から捻出され、キハ55系の置き換えで福知山機関区へ転出した。前後して冷房化された。その後は福知山で急行「丹後」「丹波」等で長く活躍した。国鉄末期の他区からの転入、福知山線の電化後も生き残り、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行や普通列車で使用され、1990年の山陰本線園部電化や宮津線廃止後も引き続き福知山で急行に使用された。しかし1992年頃より急行指定席車のアコモ改造や編成の見直しにより余剰となり、1993年12月10日に廃車となった。

前面は、福知山由来の後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはスリット式のままである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原形である。


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