キハ58 186



1962年8月11日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度3次債務で唐津機関区へ配置された。同一ロット184〜187のうち、186・187が唐津へ配置されている。唐津へは新設される準急「九十九島」(後の急行「平戸」)用として配置された。唐津区のキハ58+キハ58であったため、ずっと非冷房であった。1972年度に運用見直しにより急行「平戸」は長崎担当となり、同年度中に長崎へ転出した。転出後は長崎本線系統の急行にも使用されることから、1975年までに冷房化された。長崎本線電化後も引き続き普通列車等で使用されたが、「59-2改正」では普通列車の電車化が進められ、当車は1984年2月2日付で竹下へ転出した。その後は博多近郊のローカル輸送に使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」時の需給調整、若番車置き換えに伴い、1986年11月1日付けで長崎へ戻り、そのままJR九州に継承された。JR化後はローカル輸送車は九州色へ塗装変更されることになり、当車も1988年7月27日に塗り替えられた。1992年の豊肥・久大本線急行の特急格上げにより、アコモ改造車が大量に長崎に転入し、シーサイドライナーのアコモ改善が図られることになるが、当車は引き続き快速で使用するため、1992年12月26日付けでリクライニングシート化され、塗装も濃紺の「シーサイドライナー」塗装へ変更された。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。2000年以降はJR九州では汚物処理装置取付100%化するため、2001年1月26日同装置が取り付けられた。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入し始め余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、正面窓下の手すりの位置はほとんど変わっていない。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また、乗降用扉の点検蓋が、キハ40系と同様のユニット式に改造されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。


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