キハ58 187



1962年8月11日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度3次債務で唐津機関区へ配置された。同一ロット184〜187のうち、186・187が唐津へ配置されている。唐津へは新設される準急「九十九島」(後の急行「平戸」)用として配置された。唐津区のキハ58+キハ58であったため、ずっと非冷房であった。1972年度に運用見直しにより急行「平戸」は長崎担当となり、同年度中に長崎へ転出した。転出後は長崎本線系統の急行にも使用されることから、1975年までに冷房化された。長崎本線電化後も引き続き普通列車等で使用され、そのままJR九州に継承された。JR化後はローカル輸送車は九州色へ塗装変更されることになり、当車も1988年9月16日に塗り替えられた。1992年の豊肥・久大本線急行の特急格上げにより、アコモ改造車が大量に長崎に転入した際には、兄弟の186はアコモ改造されたが、当車はそのまま普通列車専属となった。その後も急行「えびの」用車等が長崎へ転入し、当車は1994年3月3日付で直方へ転出し、筑豊地区の普通列車で使用されるようになった。1996年6月には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部所属となるが、波動運用の減少による保留車整理の際に余剰になり、老朽化も相まって1996年12月12日付けで廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、正面窓下の手すりの位置はほとんど変わっていない。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態であるが、助手席側のステップも撤去されている。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。
側面はおおむね原型である。
屋根上は、排気口が屋根より若干飛び出している以外は、ほぼ原型である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、それ以外はほぼ原型である。


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