キハ58 189



1962年8月18日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度3次債務で唐津機関区へ配置された。同一ロット188・189両車とも唐津へ配置されている。唐津へは新設される準急「九十九島」(後の急行「平戸」)用として配置されたが、需給の関係からか同年度中へ早くも大分へ転出している。1965年には受持ち区の変更により竹下へ移動し、長崎本線系統の急行で使用されるようになる。1969年には冷房化され、長く竹下で使用された。「50-3改正」では九州内急行の見直しが行われ、長崎本線系統で使用する車両の長崎への移管が行われ、1975年3月10日付で転出した。その後は急行「西九州」「出島・弓張」を中心に活躍したが、長崎本線電化後、急行型電車が新製されなかったことから引き続き長崎に留まり、前記急行に引き続き使用された。しかし1982年には東北地区からの485系流入により特急に格上げされ、「57-11」改正で急行出島は廃止された。その後は旧型客車を使用した普通列車の置き換えとして引き続き長崎で使用され、「59-2」改正で長崎本線普通列車の電車化が推進されるも、引き続き大村線や松浦線の普通列車用として残留した。そしてそのままJR九州へ移管された。JR化後は、快速「シーサイドライナー」や普通列車で使用されるようになったが、1992年7月のダイヤ改正で快速「シーサイドライナー」のアコモ改造車への置き換えが行われ、当車は主に普通列車専属となる。しかし1994年3月より「シーサイドライナー」にキハ200が投入され車両の転配があり、この際に余剰となり1994年12月19日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態であるが、助手席側には放送ジャンパ受栓と一体状のステップが取り付けられている。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。
側面はおおむね原形である。
屋根上は、排気口が屋根より若干飛び出している以外は、ほぼ原形である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、それ以外はほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る