キハ58 192



1962年9月15日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で都城機関区へ配置された。同一ロット190〜193全車が都城へ配置された。新製配置は都城であるが翌1963年度初めには鹿児島配置となっており、いつの移動なのかは不明である。鹿児島では新設された急行「フェニックス」等、鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用される。1965年には新たに熊本にキハ58系が配置となることから、新製車と共に当ロットの191〜193が揃って1965年度中に熊本へ転出した。1968年には熊本へ後期車が転入し玉突きで当車は人吉へ転出した。この際兄弟の191・193は高松へ転出したため、兄弟離れ離れとなった。人吉転出後は急行「くまがわ」を中心に長く活躍し、1970年頃には冷房化された。国鉄最期の「61-11改正」では、急行「くまがわ」にもアコモ改造指定席車が投入されることになり、アコモ改造の768と入れ替えに1986年10月30日付で熊本へ転出し、そのままJR九州へ継承された。JR化後は1988年12月19日付で九州色化され、ローカル専属となった。1988年3月の車両移動では当車は古巣の鹿児島へ移動し、宮崎運転所に常駐し日南線で使用されるようになった。1993年には鹿児島地区内の宮崎・霧島・鹿児島本所の間で車両交換があり、ワンマンキハ58系を霧島鉄道事業部へ集めるため当車は1993年5月14日付で近郊化及びワンマン化され、霧島運用となった。そして2000年以降当面使用される車両として2000年11月22日に汚物処理装置が取り付けられた。しかし2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。貫通扉には快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また乗降扉の戸袋点検蓋が後期車と同様の横長のものに更新されている。近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。更新車であり、側面乗降ドア点検蓋が、後期車と同じ横長のものに変更されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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