キハ58 199




四国最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1962年10月1日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で高松機関区へ配置された。同一ロットでは198が高松へ配置されており、廃車も揃って同一区・同一年月日であった。両者とも終始四国を離れることはなかった。高松では1970年度に冷房化されたもの思われる。四国島内の急行列車で使用されたが、1978年に長野から大量のキハ57が転入した玉突きで、1978年10月14日付で徳島気動車区へ移動した。以降主に高徳・徳島本線の急行で使用された。国鉄末期には特急格上げにより急行運用は縮小されるが、当者はキハ20系や客車列車に代わり普通列車用として使用されるようになった。徳島区配置のままJRに継承された。1989年1月14日には四国色に変更され、1990年6月13日付で近郊型へ改造された。その後1000形の増備で徳島を終われるが、高知区に残存していた近郊化未改造車と入れ替わり、1993年3月21日付で高知へ転出した。最後は2008年の1500形増備による車両転配により余剰となり、2009年3月31日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、四国特有の改造により、原型からは随分雰囲気が変わっている。
前面は、四国タイプの前面補強が施工されているが、正面手すりの切り欠き位置がかなり下であり、特異な存在であった。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の通風口と雨どいが撤去されており、晩年の四国地区の標準スタイルである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは2000年以降の四国共通の標準仕様である。近郊化改造時に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
床下では、機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、2位側の機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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