キハ58 200 → キハ58 5501




1962年10月1日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で新潟機関区へ配置された。同一ロット198〜201のうち、200・201が新潟へ配置された。新潟では当初急行「赤倉」等で運用されたが、長大編成用400番台の配置後は、主に短編成の急行「羽越」「うおの」等で使用されたものと思われる。1970年には北陸本線急行の移管が行われ当車は1970年2月28日付で金沢へ移動した。金沢転出後は急行「ゆのくに」「大社」等で使用された。幹線急行に使用されることから1972年頃には冷房化された。「53-10改正」で急行「ゆのくに・越後」が廃止されると当車は冷房率の悪い七尾線急行の改善に回り、1978年10月3日付で七尾へ転出し、急行「能登路」で使用された。その後「55-10改正」では敦賀担当の急行「わかさ」「はしだて」の冷房化が行われることになり、七尾から当車が1980年10月21日付で敦賀へ転出した。敦賀では急行の他小浜線の普通列車でも使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化後は1987年度中に近郊化改造され、小浜線の普通列車専属となり、1988年10月18日付で「小浜色」へ変更された。1991年度末には七尾との間で車両交換が行われ、当車は1991年度末頃に七尾へ転出した。1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化により余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年2月4日付でロングシート化の上キハ58 5501へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1993年10月4日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年4月19日付で廃車となった。

外観は金沢局時代の形態を色濃く残している。
前面は、金沢時代に前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。タイフォンはシャッター式に改造されている。テールライトは、運転席側のみ外ばめ式に更新されており、金沢地区で見られた形態であった。制御用KE53ジャンパ受栓は離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部へ設置されている。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。運転席側バランサー点検蓋は追設されており、金沢局に多く見られる上下2箇所開口となっている。
屋根上は、通風器は冷房車標準の押し込み型である。また水タンクは金沢時代に断面5角形の角ばったものに交換されている。なお当車はクーラーのルーバーが全てメッシュタイプである。
床下は、ほぼ原型である。


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