キハ58 201



1962年10月1日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で新潟機関区へ配置された。同一ロット198〜201のうち、200・201が新潟へ配置された。新潟では当初急行「赤倉」等で運用されたが、長大編成用400番台の配置後は、主に短編成の急行「羽越」「うおの」等で使用されたものと思われる。1970年には一部運用の移管が行われ、当車は1970年10月1日付で山形機関区へ転出した。山形では急行「ざおう」を始め、「月山」「もがみ」「べにばな」等の支線急行で活躍した。1981年には「55-10改正」以降各地から冷房車が山形へ転入し、当車は玉突きで1981年3月11日付で弘前へ転出した。弘前では当時配置されていた若番車に代わり、急行「深浦」や「むつ」等奥羽本線北部を中心に活躍し、東北新幹線開業の「57-11改正」では急行が大幅削減された後は弘前をベースに五能線や花輪線のローカル輸送をメインに使用されるようになった。「59-2改正」では需給の関係で車両交換があり、1984年2月2日付で秋田運転区へ転出するが、「60-3改正」では再び弘前へ戻り1985年3月16日付で転出した。そして国鉄最後の「61-11改正」では運用の見直し、予備車の削減により余剰となり、1987年2月10日付で廃車となった。

前面は、弘前時代に土崎工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に更新されているが、手すりの位置はそのままで、秋田地区の特徴である。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター式に改造されている。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。
側面は、概ね原形である。
屋根上は原形のままである。
床下ほぼ原形のままであるが、複線用スノープロウを付けている。


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