キハ58 206



1962年10月6日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で新潟機関区へ配置された。同一ロットは当206のみであるが、実際は同日に別予算(昭和37年度民有債)で211〜214が新製されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍した。1971年には中央西線急行の運用持ち替えで兄弟揃って新潟を去ることになり、4月26日付で長野へ転属したが、その後千葉地区で夏季海水浴輸送に使用されることになり千葉へ貸し出され、最終的には10月2日付で金沢へ転属した。金沢では急行「大社」の金沢運用の他、急行「ゆのくに」等で活躍した。1975年には急行「能登路」運用を七尾へ一部移管することとなり、主に非冷房車が移動し当車も1975年3月で七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」専属で使用されたが、「53‐10改正」で急行「ちくま」「ゆのくに」「越後」が廃止になり金沢・長野の冷房車が大量に移動し、七尾へも冷房車が転入したことから非冷房の当車は捻出され、1978年9月30日付で新潟へ転出した。新潟へは里帰りとなりキハ55に代わり普通列車の他、他のキハ58に混じり急行でも使用された。その後「55-10改正」で各地で急行の削減が行われるとキハ58冷房車が大量に新潟へ転入し、当車は玉突きで1981年1月24日付で竹下へ転属した。一旦完全冷房化を達成した九州へ転属であったが、非冷房の当車はキハ55系置き換え用で主に博多近郊の普通列車で使用された。しかし国鉄末期には急行の減車等により冷房車が普通列車にも使用されるようになり、また地方交通線の廃止も進んだことから余剰となり、1986年12月1日付で廃車となった。

前面は、七尾時代に松任工場で前面補強が施工されているが、補強板の境界線が滑らかに仕上げられており目立たない。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。制御用KE53ジャンパ受栓は非冷房車ながらタイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下に設置されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。また当車は千葉貸し出し時に貫通扉に千葉タイプのヘッドマークステイが取り付けられており、2エンジンのキハ58では極めて珍しい装備であった。
側面は、ほぼ原形のままである。
屋根上は、後位側水タンクが国鉄時代の金沢・新潟地区標準の平らなものに交換されている。
床下も原形のままである。


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