キハ58 207



1962年9月26日新潟鐵工製の4次車で、昭和37年度本予算で都城機関区へ配置された。同一ロット207〜210のうち207・208が同日に都城へ配置されている。都城では急行「えびの」等肥薩線急行で活躍したが、1962年度中に、大分機関区へ転出した。その後も九州各地を転々とし、1964年度には竹下へ転出した。竹下では主に長崎本線の急行に使用され、急行「いなさ・弓張」で活躍し、1972年頃には冷房化された。1975年3月10日には運用移管で長崎へ転出し、引き続き長崎本線の急行で使用された。その後の長崎本線電化・急行の全廃・普通列車の電車化後は主に大村線・松浦線で使用され、そのままJR化を迎えた。JR化後はローカル輸送車は九州色へ塗装変更されることになり、当車も1988年12月28日に塗り替えられた。1992年の豊肥・久大本線急行の特急格上げにより、アコモ改造車が大量に長崎に転入した際には、当車はアコモ改造されずそのまま普通列車専属となった。その後も急行「えびの」用車等が長崎へ転入し、当車は1994年2月28日付で大分へ転出し、久大本線の客車列車気動車化に貢献した。しかしながら老朽化から1996年12月12日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、正面窓下の手すりの位置はほとんど変わっていない。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。
側面はおおむね原型である。
屋根上は、排気口が屋根より若干飛び出している以外は、ほぼ原型である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われている。機関はDMH17Hのままであるが、機関予熱器が撤去されている。



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