キハ58 209




1962年9月26日新潟鐵工製の4次車で、昭和37年度本予算で松本機関区へ配置された。同一ロット207〜210のうち、209・210が松本へ配置されている。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年度中に210と兄弟そろって長崎へ転出した。長崎では急行「出島・弓張」等の長崎本線系統の急行で使用された。1970年度にはキハ65の投入による車両需給の調整から当車は竹下へ移動し、前後して冷房化も施工され、引き続き長崎本線の急行を中心に使用された。1976年には長崎本線が電化され、余剰となった当車は1976年7月8日付で岡山へ転出し、当区のキハ55を置き換えて急行「砂丘」「みささ」「伯耆」等に使用された。岡山では長く使用され、そのままJR西日本に継承された。岡山では急行「砂丘」運用が順次鳥取へ集約され、当車は1990年3月10日付で鳥取へ転出する。鳥取では急行「砂丘」や、山陰本線の快速・普通で使用されたが、1990年代中盤に一旦鳥取に集約されていたキハ58系の配置が米子にも分散されることになり、1994年12月3日に米子へ転出する。その後1997年3月8日に組織変更で後藤総合車両所となるが引退まで米子から移動せず、山陰本線の快速・普通列車で使用された。最後は老朽化のため2002年3月31日付で廃車となった。

外観は、岡山時代の形態を色濃く残している。
前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口は撤去されているが、水切りは残っている。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの左右に設置され、ステップは運転席側が撤去されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは内ばめ式の取り付けビスを活かしたまま、外ばめ式に更新されている。
側面では、0番台車であるが乗降ドア隅の丸穴が付いており、Hゴムが黒くなったものの残存している。運転室窓バランサー点検蓋が新設されており、蓋がボルト止めされている。それ以外はほぼ原型である。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されているが、屋根上の水タンクは原形のままである。
床下機器はほぼ原型である。



キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る