キハ58 212



1962年10月11日日本車両製の4次車で、昭和37年度民有で高松機関区へ配置された。同一ロット211〜214のうち211・212が同日に高松へ配置されている。高松では徳島地区を除く四国全域の急行列車で使用され、四国では比較的後年の1972年に冷房化された。その後も国鉄末期まで高松配置で急行に使用されたが、国鉄最後の改正でローカル輸送に転用されることになり、1986年11月2日付で高知へ移動した。高知では客車列車やキハ20系を置き換え普通列車で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年12月18日に四国色へ変更されるが、内装は変更されなかった。1992年3月には高知へ1000系が新製投入された関係でキハ58系の移動があり、当車は3月14日付で松山へ移動した。その後予讃線の電化後も引き続き普通列車で使用された。松山では他のキハ58が全て近郊改造車となり当車のみが原型シートで使いづらかったことから、1000系投入で余剰となった徳島所属近郊改造車のキハ58 301と交換することとなり、1997年2月7日付で徳島へ移動した。しかし徳島では既に急行「よしの川」も1往復のみとなっており、あまり使われることなく1997年12月19日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっているが、形状が四国特有のものとなっている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
側面はほぼ原型である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原型である。なお台車は1990年代後半よりグレーに塗装されている。


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