キハ58 214




1962年10月11日日本車両製の4次車で、昭和37年度民有で新潟機関区へ配置された。同一ロット211〜214のうち213・214が同日に新潟へ配置されている。新潟では新設された急行「赤倉」等で使用開始したが、1963年度には「赤倉」用の長大編成対応400番台車が大量に新潟に配置され、早くも当車は兄弟の213と共に同年度中に長崎へ転出した。長崎では急行「いなさ→出島、弓張」等長崎本線系統で使用され、1972年頃に冷房化された。1976年の長崎本線の電化、1982年の急行全廃、1984年の普通列車大幅電車化と長崎のキハ58系は縮小の一途を辿ったが、当車は213と共に大村線や松浦線で引き続きローカル用として使用され、そのままJR九州に継承された。JR化後は、1988年の松浦線転換により余剰となり、北九州地区の増発用として竹下へ転出した。1988年12月23日には近郊化及び九州色への変更が行われ、ローカル専属となった。その後は組織改正で竹下は直方に統合され、更に筑豊篠栗鉄道事業部と変わったが、引き続き九州北部で普通列車で使用された。1999年には九州内で大幅な車両交換があり、当車は長く過ごした長崎へ里帰りする。長崎では快速「シーサイドライナー」を中心に最後の活躍をしたが、2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、当車は助手席側のみの半欠けになっている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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