キハ58 215



1962年10月16日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で長野機関区へ配置された。同一ロット215〜218のうち215・216が長野へ配置されている。長野では急行「きそ」等幹線急行で活躍したが早くも1983年度中に需給の関係で名古屋へ転出し、引き続き急行「きそ」の他、急行「のりくら」「大社」「紀州」等で広範囲で使用された。冷房化は1970年代中盤であると思われる。1973年には中央西線の電化で捻出され、隣の同年度中に美濃太田へ転出し急行「のりくら」等高山本線の急行をメインに活躍するようになった。その後1975年には需給の関係で再び名古屋へ移動することになり、3月4日付で転出した。「53-10改正」では中央西線に残っていた急行「きそ」「ちくま」「越後」「ゆのくに」が廃止され中部地区で大掛かりなキハ58系の転配があり、当車は七尾線急行の冷房化を進めるため1978年9月28日付で七尾へ転出した。以降は七尾線の急行及び普通列車で活躍した。七尾では長く活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は、1988年に能登線が廃止された関係で余剰となり、山陰本線京都口の50系客車列車の気動車化のため1988年9月10日付で福知山へ転出した。福知山では山陰本線の他、舞鶴線・宮津線等で使用されたが、1990年には山陰本線園部電化及び宮津線の廃止により捻出され、当車は客車列車の気動車化のため1990年3月8日付で米子へ転出した。米子では主に快速や普通列車で使用されたが、普通列車のワンマン化・短編成化が進み余剰となり、1993年3月31日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強がされているが、補強版の境目は分かりづらい。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりは撤去され、金沢局標準の形態である。制御ジャンパ受栓はタイフォン下部に寄り添う位置に移設されている。ステップの位置は原形のままである。放送用ジャンパ受栓は、ステップ上部に台座付きで移設されており珍しい形態である。タイフォンカバーはスリット状であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形であるが、運転席側窓バランサー点検蓋が追設されており、金沢局標準で上下2枚の蓋が設けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原形である。


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