キハ58 217



1962年10月16日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で松本機関区へ配置された。同一ロット215〜218のうち217・218が松本へ配置されている。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年9月30日付で
新潟へ転出した。新潟での活躍は短く、同年12月27日には秋田へ転出した。秋田では急行「おが」を始め、奥羽本線系統の急行で活躍したが、需給の関係で1965年には小牛田へ転出した。小牛田では急行「千秋」「たざわ」等、仙台以北の幹線急行で長く使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」にて東北地区の急行が大幅削減された際に余剰となり、キハ55系置き換えのため1982年12月6日付で郡山へ転出した。郡山ではキハ55系に代わり磐越西線・磐越東線・只見線等の勾配路線の普通列車で使用されるようになったが、「60-3改正」時の車両転配で移動となり、1985年3月14日付で秋田へ転出した。秋田では男鹿線や田沢湖線の普通列車で使用されたが、「61-11改正」で秋田に冷房キハ58系が転入した関係で玉突き転配され、1986年10月28日付で一ノ関へ転出した。一ノ関転出後すぐ1987年3月には盛岡色へ変更され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は北上線や大船渡線の普通列車のほか快速「むろね」や新設された快速「南三陸」で使用された。そのため前面にこれらのヘッドマークステイが取り付けられていた。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され北上線・大船渡線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1992年12月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の郡山工場標準タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。放送用ジャンパ受栓は後期車に準じた、ステップ一体型となっている。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。また前述の通り、貫通扉に快速「むろね」「南三陸」用のヘッドマ−クステーが取り付けられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下はほぼ原形で、複線用スノープロウを付けている。


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