キハ58 218



1962年10月16日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で松本機関区へ配置された。同一ロット215〜218のうち217・218が松本へ配置されている。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年8月26日付で
広島へ転出した。広島では主に九州直通急行「青島」で使用された。1975年には山陽新幹線開業で急行「青島」は廃止されるが、引き続き広島運転所に残留し主に芸備線系統の急行に使用された。1983年2月には岩国・亀山・向日町・広島の間で主に汚物処理装置装備車を有効活用する転配が行われ、これにより広島に汚物処理装置付きキハ58が転入し当車は余剰となり、キハ55を置き換えるべく七尾へ移動した。七尾では急行「能登路」や普通で列車活躍し、そのままJR西日本に継承された。七尾ではボックスシートのまま活躍し急行専属車となり1988年度には七尾急行色へ変更される。1991年7月の七尾線和倉電化及び輪島までの第三セクター化により余剰となり、山陰本線50系客車置き換えのため1991年7月に小郡へ転出した。久しぶりの広島地区への里帰りであった。小郡では、ボックスシート車ながら黄色の広島普通色に塗装され、ローカル普通列車専用となった。1995年10月1日には組織変更で山口鉄道部となるが、引き続き小郡をベースに下関地区で普通列車に使用された。しかし2000年以降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2002年8月31日付で廃車となった。

前面は、幡生工場で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりが若干位置が下がっている。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの左右に設置されている。放送ジャンパ受栓は、後期車と同様のステップ一体型に変更されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の通風口は残っているが、雨どいは撤去されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
側面は、乗務員室窓水切りが撤去されている。運転席側窓バランサー点検蓋は、縦長の開口部に蓋がビス止めで設けられているものと、金沢によく見られる台枠裾付近の開口と、2つある。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
床下は、ほぼ原型である。


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