キハ58 221



1962年11月26日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有債で和歌山機関区へ配置された。同一ロット219〜222全車が和歌山へ配置されている。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で運用され、1970年代中盤には冷房化されている。和歌山では急行「きのくに」用として長く使用されたが、1978年10月の紀勢西線電化により捻出され、1978年9月29日付で浜田へ転出した。浜田では残っていた非冷房車に代わり急行「だいせん」「石見」等で活躍したが、1982年7月の伯備線電化に伴うダイヤ改正で米子管内で車両転配が行われると余剰となり、1982年7月5日付で豊岡へ転出した。豊岡では急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」で活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」の特急「くろしお」への格上げにより和歌山機関区から状態の良いキハ58系が大量に福知山地区へ転入すると当車は余剰となり、1985年10月29日付で廃車となった。

前面は、浜田時代に後藤工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されているが、当車は珍しく台座付きである。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下は、ほぼ原形である。


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