キハ58 222




1962年11月26日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有債で和歌山機関区へ配置された。同一ロット219〜222全車が和歌山へ配置されている。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で運用され、1970年度には冷房化されている。和歌山では急行「きのくに」の全廃時まで使用され、「60-3改正」できのくにが廃止されると、1985年3月14日付で亀山へ転出する。亀山は疎開のための転出で、翌4月には遠く九州の大分運転所へ転出した。「きのくに」廃止で和歌山を離れたキハ58では唯一の九州転属車であった。大分ではそれまで配置されていた非冷房キハ58に代わり、急行や普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後の1988年3月の改正による車両移動では、当車は鹿児島へ転出する。1988年6月28日には「九州色」へ塗装変更された。1991年3月の改正では鹿児島地区へ近郊形改造車を集める傾向があり、当車は再び大分へ転出、豊肥本線・久大本線で使用された。そして1994年の大分へのキハ125投入により捻出され、波動用として直方へ転出した。そして転出後「九州急行色」に塗装変更され、主に日田彦山線の普通列車や波動用で使用された。しかしながら日田彦山線にもワンマンキハ58系やキハ147が増え、当車は1999年12月13日付で廃車となった。

JR九州で「九州急行色」で残っていた最末期の車両のうちの1両であるが、外観は関西タイプが色濃く、ミスマッチが特徴であった。
前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりが短くなっているなど、関西標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置はタイフォンの下部で左右に寄っており、九州で多数見られる形状とは異なる。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されているが、後に鹿児島配置車も同一スタイルとなっているので、特異性はない。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままであり、九州特有の形状のスリットにはなっていない。
側面はおおむね原形である。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原形である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。


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