キハ58 223



1962年11月30日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有債で多治見機関区へ配置された。同一ロット223〜225全車が多治見へ配置されている。多治見では中央本線の急行「きそ」や高山本線の「のりくら」で使用されたが、1965年に美濃太田機関区に気動車基地が建設された際に、美濃太田へ転出した。美濃太田では引き続き急行「のりくら」「きそ」の他、急行「大社」や「紀州」でも使用され、1970年代上期には冷房化されている。1973年には中央西線の電化及び高山〜北陸本線系統の循環急行の廃止により移動し、1973年12月28日付で徳島へ転属した。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」等で使用された。1980年に、急行の減車により捻出されたキハ58が高松から徳島へ転入した際に若番車は徳島から他区へ転出したが、125以降の車両は引き続き徳島に残留した。徳島では国鉄末期まで使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入により四国内の急行列車が大幅削減されるとキハ65や車齢の若いキハ58が徳島へ転入し当車は玉突きで余剰となり、JRへ継承されず1987年2月10日付で廃車された。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、後期車に準じステップ一体型で設置されているが、位置が通常よりかなり上にある。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形である。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下はほぼ原形である。


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