キハ58 226



1962年12月11日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有で名古屋第一機関区へ配置された。同一ロット226〜229のうち、226〜228が名古屋へ配置された。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。名古屋では比較的長く活躍したが、1971年には需給の関係で転出することになり、、1971年9月24日付で盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」等、仙台以北の東北本線急行で長く活躍した。東北新幹線開業の「57-11改正」後も引き続き盛岡に残り、キハ55系に代わり普通列車を主体に、残った急行「陸中」等で使用された。国鉄末期の気動車の転配による移動があり、1986年3月11日付で弘前へ移動するが、1986年11月2日付で盛岡へ戻っている。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は八戸のキハ22を置き換えるため1988年3月13日付で八戸へ転出し、八戸線・大湊線から青森へ直通する快速「なつどまり」を中心に使用されるようになった。そして1988年6月4日付で盛岡色へ変更された。その後も八戸で使用されたが、1990年より始まったキハ110系大量新製に伴う車両転配で同地区はキハ40系に統一されることになり、1992年10月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は両側とも残存している。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは回転蓋式に改造されているが、さらにタイフォン上部のシャッター作用箱も撤去された異端車である。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下はほぼ原形で、複線用スノープロウを付けている。

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