キハ58 228



1962年12月11日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有で名古屋機関区へ配置された。同一ロット226〜229のうち、226〜228が名古屋へ配置された。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。名古屋では比較的長く活躍したが、1973年の中央西線電化により捻出され1973年上期に美濃太田へ転出したのち1973年11月27日付で長崎へ転出した。長崎では長崎本線系統の急行「いなさ・弓張」で活躍した。山陽新幹線博多開業の「50-3改正」では特急増発により九州内急行の再編が行われ所要数が減少し、1975年3月14日付で新潟へ転属した。なお当車は1980年代には冷房化されているが、これが名古屋時代の冷房化なのか九州時代の冷房化なのか新潟転出後の冷房化なのかは定かではない。それは同改正で他に非冷房キハ58も九州から新潟へ転出しているからである。新潟では急行「赤倉」をはじめ、「いいで」「あがの」「あさひ」「羽越」等、新潟を起点とする急行で活躍した。前述の通り冷房化の時期は定かではないが、1980年の時点では既に冷房化されており、主に急行「赤倉」で活躍していた。「57-11改正」で急行「赤倉」が廃止された後は冷房車は急行「べにばな」快速「あがの」等で活躍したが、「60-3改正」で編成短縮及び運転区間短縮により所要数減少すると余剰となり、1986年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されており、正面窓下の手すりはこれを避けるべく少し位置が下がっているのは新潟地区の標準的な形態である。タイフォンカバーは国鉄新潟地区特有の竹槍状のカバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。放送用ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部に台座付きで設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ設置されている。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下はほぼ原形であるが、単線用スノープロウを装備している。

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