キハ58 229



四国最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1962年12月11日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有で高松機関区へ配置された。同一ロットでは当車のみが高松へ配置されており孤独な存在であった。高松では1967年7月13日付で簡易冷房車に改造されており、その後1970年に冷房量産化改造されたもの思われる。四国島内の急行列車で使用されたが、国鉄末期の「61-11改正」時に、キハ185系投入による急行の特急格上げで余剰となるが、高知の経年の古いキハ55を置き換えるため1986年11月付で高知機関区へ移動、土讃本線の普通列車等で使用された。そしてそのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年11月15日には四国色に変更された。高知は終始普通列車に使用され、1990年10月5日付で近郊型へ改造された。最後は2006年の1500形増備による車両転配により余剰となり、2006年9月30日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、四国特有の改造により、原型からは随分雰囲気が変わっている。
前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の通風口と雨どいが撤去されており、晩年の四国地区の標準スタイルである。
屋根上は通風器が断面五角形の箱型ベンチレーターに交換されており、1999年代後半の四国形態。2000年になると更に通風器を撤去する例が増えたが、当車はそのままであった。近郊化改造時に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
床下では、機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、2位側の機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る