キハ58 231



1962年12月18日日本車輌製の4次車で、昭和37年度民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット230〜232全車が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」等の鹿児島本線・日豊本線系統の幹線急行に投入された。1965年に鹿児島に長大編成用車が新製されると捻出されるように兄弟そろって長崎へ転出した。長崎では急行「出島・弓張」等の長崎本線系統の急行で使用された。1971年にはキハ65の投入による車両需給の調整から当車は竹下へ移動し、引き続き長崎本線の急行を中心に使用された。1976年には長崎本線が電化され、余剰となった当車は1976年7月8日付で岡山へ転出し、当区のキハ55を置き換えて急行「砂丘」「みささ」「伯耆」等に使用された。岡山では長く使用され、そのままJR西日本に継承された。岡山では急行「砂丘」運用が順次鳥取へ集約され、当車は1990年3月10日付で鳥取へ転出する。鳥取転出後すぐ、一旦鳥取に集約されていたキハ58系の配置が米子にも分散されることになり、1990年度中に米子へ転出する。その後1997年3月8日に組織変更で後藤総合車両所となるが引退まで米子から移動せず、最後は老朽化のため2002年6月17日付で廃車となった。

外観は、岡山時代の形態を色濃く残している。
前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口は撤去されているが、水切りは残っている。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの左右に設置され、ステップは原型の位置のままである。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは内ばめ式の取り付けビスを活かしたまま、外ばめ式に更新されている。
側面では、0番台車であるが乗降ドア隅の丸穴が付いており、Hゴムが黒くなったものの残存している。運転室窓バランサー点検蓋が新設されており、蓋がボルト止めされている。それ以外はほぼ原形である。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されている。AU13クーラーは、ルーバーがメッシュタイプとスリットタイプが混在している。
床下機器はほぼ原形である。



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