キハ58 238



キハ58型で千葉ヘッドマークステイを付けていた稀有な車両。

1962年10月5日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で松本機関区へ配置された。同一ロット236〜239全車が松本へ配置された。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年8月頃に長野へ転出した。長野では中央西線の急行で使用され、「きそ」等で活躍した。1967年には長野に長大編成対応キハ58が投入された影響からか、当車は同ロット兄弟と共に金沢へ移動した。金沢では北陸本線〜七尾線直通急行を中心に使用された。金沢時代の1971年には夏季輸送で房総地区へ応援に行くことになり、兄弟の238と共にシーズン前に千葉へ転出し、シーズン後の8月25日付で金沢へ戻っている。そして1970年代中盤には冷房化されている。「53-10改正」で金沢担当の急行「ゆのくに」が電車化されることになり、当車は急行「能登路」のキハ55系置き換えのため1978年10月2日付で七尾へ転出している。その後は一貫して七尾線の急行・普通に使用されたが、国鉄末期に各地から状態の良い車両が七尾へ転入し、JRへ継承されることなく1987年1月14日で廃車となった。

前面は、金沢タイプの前面補強が施工されているが、補強板の境界線が滑らかに仕上げられており目立たない。ワイパーは原型のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原型である。制御用KE53ジャンパ受栓はタイフォン下部で左右離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、金沢配置車には珍しくスリット式のままであり、七尾時代に助手席側に傘のようなカバーが取り付けられている、テールライトは内ばめ式のままである。冒頭で述べたが、千葉貸し出し時に貫通扉に千葉タイプのヘッドマークステイが取り付けられており、2エンジンのキハ58では極めて珍しい装備であった。
側面は、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板がボルト止めされている。
屋根上は、通風器の配置・形状は標準冷房車の形態である。水タンクは初期の金沢地区標準の、平らな形状のものに更新されている。
床下は概ね原形であるが、金沢時代の複線型スノープロウが残存している。

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