キハ58 240



1962年10月10日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で松本機関区へ配置された。同一ロット240〜241全車が松本へ配置された。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年8月頃に鹿児島へ転出した。鹿児島では新設された急行「フェニックス」等、鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用される。1965年には新たに熊本にキハ58系が配置となることから、新製車と共に当ロットの191〜193が揃って1965年度中に熊本へ転出した。熊本では急行「えびの」で使用されたが、肥薩線の勾配路線急行に使用されていたためキハ58主体の編成で長らく非冷房であったが、九州では急行の冷房化を強力に推し進めたためキハ65の投入により熊本を追われ、1972年11月17日付で長崎へ転出した。長崎では松浦線経由のローカル急行「平戸」がキハ58+キハ58の編成で非冷房であったためこれに使用されたが、後に当車も冷房化され急行「出島・弓張」にも使用されるようになった。1976年の長崎本線電化後も急行は気動車のまま残ったが、「57-11改正」で捻出された485系により特急格上げされる事になり、長崎の多くの仲間は余剰となりキハ55系に代わり普通列車用となった。しかし「59-2改正」では715系の投入等により普通列車の電車化が進み、当車は1984年4月9日付で高松へ転属し、元高知区のキハ55に代わり土讃本線の普通列車で使用されるようになった。しかし国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入による特急格上げによりキハ58系に大量の余剰が発生し、汚物処理装置付きのキハ58が捻出されたことから当車はJRへ継承されず、1987年2月10日付で廃車された。

イラストは長崎時代の1976年のものである。四国転出後の情報があればご教示願いたい。
前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり正面窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓はタイフォン下部で左右離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ栓納め取り付けられておらず、ケーブルは標識灯掛け等に引っ掛けられていた。タイフォンカバーは原形のスリット状カバーである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面は概ね原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下も原形である。


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