キハ58 242



JR九州へ継承された唯一の0番台非冷房車。

1962年12月5日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で名古屋第一機関区へ配置された。同一ロット242・243全車が名古屋へ配置された。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。名古屋では比較的長く活躍したが、1973年の中央西線電化により捻出され1973年上期に美濃太田へ転出したのち1973年11月27日付で長崎へ転出した。長崎では非冷房のまま急行「平戸」等で使用されたが、山陽新幹線博多開業の「50-3改正」で九州内の急行再編が行われ冷房車が捻出されたことから非冷房車は余剰となり、1975年3月14日付で新潟へ転出した。新潟ではキハ55系で残っていた支線急行をキハ58系に置き換えたほか、幹線急行である「赤倉」等でも使用された。しかし「55-10改正」以降各地で余剰となった冷房キハ58が新潟へ転入した関係で余剰となり、1981年1月24日付で竹下へ転出した。竹下ではキハ55系を置き換え、主に福岡近郊や筑豊地区で普通列車に使用された。国鉄末期には急行の削減により冷房車に余剰が出たことから、普通列車用の非冷房キハ58系は淘汰が進んだが、当車は幸運にも生き残りそのままJR九州へ継承された。JR化直後は引き続き福岡近郊で活躍したが、1988年3月改正では松浦線の廃止が決まっていた長崎との間で車両交換が行われ、長崎から竹下へ冷房車が転入した代わりに当車を含む非冷房車は長崎へ転出した。しかし転出後間もなく1988年3月31日付で松浦線は第三セクターへ移管され余剰となり、保留車として在籍したのち1989年3月10日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。タイフォンカバーは、竹下転属後に九州特有の形態のスリット式カバーを取り付けている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型である。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、撤去されている。
側面では、乗務員室窓バランサー点検蓋は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。その他はほぼ原形である。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下もほぼ原形である。


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